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Rd.6 [Sat,18 July]
IOWA RACE 2

琢磨を追い込む小さな禍 第5、6戦 アイオワ
 アイオワ・スピードウェイで行なわれたインディカー・シリーズのダブルヘッダーにおいて、佐藤琢磨はその最初のレースの前半戦を実に力強く走りきった。レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのダラーラ・ホンダに乗る琢磨は、レースの折り返し点を3周過ぎた時点まで49周にわたってトップを走行したのだが、その後、事態は急変する。「とてもタフでフラストレーションがたまる週末でした」 金曜日の夜は10位、土曜日は21位でフィニッシュした琢磨はそう語った。

 新型コロナウィルスの影響を受けて、7/8マイルのショートオーバルで開催されるレースのスケジュールは過密なものとなった。1回だけのプラクティスに続いて一発勝負の予選アタックを実施。ただし、スターティンググリッドの決め方は、いつもの2ラップの合計タイムではなく、最初のラップはレース1のグリッドを、そして次のラップはレース2のグリッドを決めるという変則的なルールが採用された。

「2年前に表彰台に上ったのに続き、昨年もアクシデントに遇うまではトップ3を走行していたので、おそらくコンペティティブな戦いができるだろうと期待していました。ところが、タイアのスペックが変更されたうえ、新たに導入されたエアロスクリーンに関してもわからない部分が残っていました。しかも、僕はテキサスのレースに出走できなかったので、オーバルレースを戦うのは、昨年のセントルイス以来、実に11ヵ月ぶりのことでした! 僕たちは様々なことを調整し、たった1回のプラクティスにそれらを押し込むことにしました」

「テキサスのときと同じように、予選のときと同じ状態のマシーンで決勝を戦わなければいけません。調整できるのはタイヤの空気圧とフロント・ウィングの角度調整くらい。もしも予選でマシーンの調子がよくなかったとしても、そこから修正することができないので、これはかなりチャレンジングなことでした」

 琢磨はプラクティスを11番手で終えると予選に臨んだ。ここで琢磨は、1周目のラップタイムによりこの日行なわれるレースの6番グリッドを獲得。ところが土曜日のスターティンググリッドを決める2ラップ目のタイムは20番手に留まったのだ。「プラクティスの結果は悪くありませんでしたが、テストを行なったことのないアイテムがたくさんあったので、どうなるかは予想しなければいけませんでした。ギアリングは妥協の産物で、アライメントは予選だけを考えれば最適化されてなく、ライドハイトはやや攻めすぎた設定だったと思います。1周目はまずまずコンペティティブでしたが、2周目はボトミングがひどくてトリッキーなハンドリングでした。おかげでかなりスピードをロスしましたが、これは残念なことでした」

 最初のレースの序盤戦、6番手で周回を重ねていた琢磨は、かなり早い段階の46周目にピットストップを行なう。ほどなく、フレッシュなファイアストン・タイアを得た琢磨の走りが生き生きと輝き出す。トップ5を走っていたドライバーがピットストップを行なうと、琢磨は3番手に浮上。続いて琢磨は、まだピットストップを行なっていなかったアレックス・パロウとフェリックス・ローゼンクヴィストをパスするとトップに立ち、チーム・ペンスキーのジョセフ・ニューガーデンとウィル・パワーに追走されながらも2回目のピットストップまでこのポジションを守り続けた。

「順調に戦っていると思いました。イエローの助けを借りれば、アイオワでは2ストップでレースを走ることもできますが、ほとんどの場合は3ストップで戦われます。経験的にいって、このコースにおけるタイア・デグラデーションは激しく、1回の燃料満タンで周回できる90周を1セットのタイアで走行するケースはほぼありません。昨年、僕たちはポジション・アップを狙ってアンダーカットを仕掛け、通常のピット・シーケンスとは異なるレース戦略で戦ったところ、大幅に順位を上げることに成功しました」

「今年、僕たちはもう少し手堅い戦略で戦いました。なぜなら、コースが極めてグリーンな状態のうえ、まだ日が残っていて気温がとても高かったからです。オーバーテイクは極めて難しい状況でした。僕たちは長い列を成して走行することになると予想していましたが、事実、そのとおりとなりました。そこで僕たちは最初のスティントを短く設定し、アンダーカットにトライしたところ、これは大きな成功を収めました。65周から70周を走行したタイアを履いているドライバーたちに対し、僕のタイアはとてもフレッシュな状態だったため、ここでタイムを稼ぎ、およそ50ラップにわたってレースをリードできたのです。僕たちの走りはとても力強く、周回数を重ねたタイアでもコンペティティブなスピードを維持しました。コース上でもっともコンスタントなペースのマシーンの1台が僕たちのものだったと思います」

 ところが、2回目のピットストップを終えた頃から歯車が狂い始める。ウィル・パワーはマシーンからホイールが外れたためにウォールにクラッシュ。そこでイエローが出されてコースの清掃が行なわれたが、リスタートを切るかどうかで混乱が起こり、これがきっかけでコルトン・ハータとライナス・ヴィーケイが大クラッシュを演じてしまう。このためイエローが引き伸ばされ、琢磨のレース戦略に取り返しのつかない悪影響を及ぼすことになる。

「全体のおよそ1/3にあたるコンペティティブなマシーンはウィルのアクシデントでイエローが出た際にピットストップを行ないました。ただし、誰もがもう1回ピットストップを行なうことがわかっていたので、3番手だった僕は心配していませんでした。ところが、リスタートで大きなアクシデントが発生し、その後の作業に長い時間を要します。これは僕にとって大きな問題でした。なぜなら、サイモン・パジェノーやスコット・ディクソンといったドライバーはピットストップを行なった直後で、このままフィニッシュまで走りきれるからです。このイエローの後半部分では、チームメイトのグレアム・レイホールなどたくさんのドライバーがピットに飛び込みました。僕も同じようにすべきだったと言われても仕方のない状況でした」

 実際のところ、その後のリスタートでは「列の後方でコースに復帰したグレアムは2周とかからずに僕をオーバーテイク(註:厳密には「同一周回に追いついた」)したので、やはり僕もピットストップすべきだったのです」

 アロウ・マクラーレンSPの若手ドライバーであるオリヴァー・アスキューとパト・オワードに続く3番手を走行していた琢磨は、最後のピットストップをコース上がグリーンの状態で行なうまでにパジェノー、アレクサンダー・ロッシ、ディクソンに抜かれて6番手に後退。この結果、琢磨はリードラップから脱落して13番手となった。ここからパロウ、サンティノ・フェルッチ、レイホールをパスして10番手に戻したものの、それは期待されていた展開にははるかに及ばないものだった。

 アスキューとオワードは琢磨と似た戦略を選んでいたが、琢磨は2回目のピットストップでホイール・ナットの問題に見舞われ、彼らの後塵を拝していた。ちなみに、アスキューとオワードは琢磨と同じようにグリーン中にピットストップを行なっていながら3番手と4番手でコースに復帰していた。「その理由は、彼らがリスタートの際にクリーンエアのなかで走っていたことにあります。いっぽうの僕はニュータイヤを履いたドライバーに囲まれ、オーバーテイクされていました。彼らはほとんど僕を1ラップ遅れにしようとしていましたが、たとえば最後の15周では、反対に僕が彼らを引き離していました。これもレース展開が悪い流れに陥っていった小さな理由のひとつに過ぎませんが、コース上のどこを走るかは非常に重要な問題です。僕にとっては最悪の事態でした」

 いずれにせよ、マクラーレンSPの2台が示したペースについては、その後、すべてのチームがじっくりと検討することになる。「パジェノーが優勝してディクソンが2位に入りましたが、これはレース戦略によるものでした。いずれにせよ、僕たちはマクラーレンと同じレベルまでパフォーマンスを引き上げる必要がありました」 そして、琢磨は2日目のプラクティスで5番手につけていた。「このときマシーンのバランスが改善されたように思ったので、僕たちは手応えを掴んでいました。ただし、同じことはどのドライバーにも起きていたのです」

 アイオワの2レース目、20番グリッドからスタートした琢磨は、1回目のピットストップをまたもや早めに行なったが、その前にマルコ・アンドレッティをパスして19番手となっていたので、それほど悪い状況ではなかったとも考えられる。ただし、コクピット内の様子はそれほど希望に満ちたものではなかったらしい。

「走り始めてすぐバランスがよくないことに気づきました。僕はディクションとつかず離れず走行していたので、タイアが新しければ前日と同じような走りができると考えていました。ところで、夜になって気温が下がるとダウンフォースやメカニカルグリップが増え、マシーンはよりアンダーステアになります。そこで通常はピットストップでフロントウィングの角度を1ターン分増やします。けれども、ピットインとストップ後にひどいオーバーステアとなり、僕はコクピットのなかでできる対処をすべてやり尽くしていました。プラクティスとレースの間に、僕たちはグレアムが乗るNo.15のセットアップをベースにする変更を行いましたが、これは自分たちには間違った方向だったようです。なにしろ、次のスティントの半分が終わらないうちに、僕は2ラップダウンとなっていました。これは最悪の事態です。僕はマシーンがダメージを負っているか、どこかが壊れているのではないかと疑いました。まるでアンダートレイに大きな穴が開いているような感触だったからです。そこで僕らは緊急ピットインを行なわなければならなくなりました」

 今度はフロントウィングを4ターン分減らしたものの、レースが終わるまでには合計で7ターンも減らす事態となった。「3位でフィニッシュしたグレアムはウィングを1度も調整しなかったので、おそらくどこかが不調だったのでしょう。僕にとってはもっとも辛いレースのひとつになりました」

 結果的に琢磨は3ラップダウンでチェッカードフラッグを受けた。「僕はアイオワが大好きです。最初のポールポジションを獲得したのもこのコースですし、1ラップ中のほとんどで4.5〜5Gの横Gを受けながら走る感覚も最高です。ただし、オーバーステアがひどいマシーンではまったく走りたくなくなります。おそらく、僕にとってもっともハードでもっとも苦しい夜だったと思います」

 いっぽうで、嬉しい出来事もあった。2001年に琢磨が圧勝でイギリスF3チャンピオンに輝いたときのチームであるカーリンが、コノー・ダリーを擁してインディカー・シリーズ初のポールポジションを獲得したのである。「トレヴァー・カーリンと彼のスタッフに心から“おめでとう”と申し上げます。彼らと一緒に戦った当時のことはいまも決して忘れられません」

 続くミドオハイオ戦はチームオーナーであるボビー・レイホールの生まれ故郷が舞台となるが、その前に短い休息がやってくる。「今年は、僕にとって小さな災難がたくさん起きているような気がします。できれば、シーズン後半はこの流れが変わって欲しいと願っています。2週間の準備期間を経て迎えることになるミドオハイオ戦がいまはとても楽しみです」

written by Marcus Simmons
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