COLUMN |
ある意味において、佐藤琢磨はインディアナポリスのことをよく知っていた。なにしろ、琢磨がF1で残した最高の成績──3位表彰台──は、この地で開催された2004年F1アメリカGPで得たものなのだから。けれども、F1で使われるロードコースと、インディ500の舞台となる2.5マイルのオーバルコースとでは、同じインディといってもまったく異なっている。そして初めての挑戦となったインディ500で琢磨は20位完走を果たすとともに、大きな手応えを掴んだのである。
インディ500での経験は、他のどんなモータースポーツ・イベントとも異なっている。2010年はコスト削減の関係もあって日程が大幅に短縮されたが、プラクティスが始まるのは決勝のおよそ2週間前で、予選も決勝の1週間前に開催されるというスケールの大きさは相変わらずといえる。 「いままで出場したなかで、もっとも開催期間の長いイベントでした」と琢磨。「最初の1週間、僕らは1日ごとに着実な進歩を果たしていました。そのいっぽうで、予選までに多くのことを学ばなければいけないことにも気づきました。気温はとても低く空模様は不安定でしたが、予選日は急に気温が上昇し、コースコンディションは大幅に変化しました。このため、僕たちは最初からもう一度セットアップを見直さなければいけなくなりました」 「予選日の午前中に行なわれたプラクティスで、僕はターン2で突然マシンのコントロールを失いました。オーバルレーシングでは、一度経験してみないことには絶対に理解できないことというものがありますが、まさにこれがそのひとつでした。予選に向けてはドラッグを削らなければなりませんが、インディアナポリスでは、スーパースピードウェイ・パッケージをギリギリのダウンフォース・レベルまで引き下げます。僕たちの予選用セットアップは少しアグレッシブすぎたようで、このためリアのグリップを失ってしまったのです。しかも、それを事前に見極めるチャンスはありませんでした」 琢磨は200mph(約320km/h)以上のスピードでウォールに激突。ナーバスなハンドリングのため、チームメイトのEJヴィソとマリオ・モラレスがすでにクラッシュしていたこともあり、KVレーシング・テクノロジーは修復作業で忙しい時間を過ごすこととなる。事故後、病院で診断を受けた琢磨は、最後に残った9台分のグリッドを賭けて13台がしのぎを削るバンプデイに挑むことを余儀なくされた。 「チームのスタッフは目を見張るような仕事ぶりですべてを元通りに直してくれました」と琢磨。「ターン2でのことがあったので精神的には厳しい状況でしたが、予選が終わるころにはそれも乗り越えていました。予選はまるでカオスのようでした! 予選当日はとても暑く、ほとんどのドライバーはプラクティス中に決勝用セッティングのシミュレーションを行なっていましたが、僕たちは予選用のセッティングに集中しなければいけなかったので、そうはいきませんでした。夕方が近づくにつれてコースコンディションはよくなっていったので、チャンスは一度だけしかないと思っていました。そして、事前に考えたとおりのことを、僕たちは実現したのです」 2日間にわたる予選で、琢磨はクラッシュを経験し、残り14分間というきわどいタイミングで31番グリッドを手に入れることに成功する。「身体じゅうが痛くて頭痛もしていたけれど、これが終われば回復に1週間近く当てられるし、なんとか予選をやり過ごしました」 この後、琢磨はインディではお馴染のPR活動で慌ただしい日々を過ごすことになるが、なかには1965年のロータス・インディカーと対面するという嬉しい出来事もあった。このマシーンが、No.5をつけたKVレーシング・テクノロジーのオリジナルであることは皆さんご存じのとおりである。 レース直前の金曜日は“カーブデイ”と呼ばれ、1時間半のプラクティス・セッションが設けられている。ただし、ここで琢磨のマシーンはバランスが完全でないことが判明、決勝に向けて煮詰め直す必要が生じてしまう。 そしてレース当日を迎えた。 「PR活動ではファンの皆さんが大いに盛り上がっていることを知ることができて、とてもよかったです。それにしても、レースデイの雰囲気は信じられないようでしたよ。30万人を超す観客が詰めかけたインディアナポリスに、自分が立っている……。そのエネルギーは恐ろしいくらいに感じることができました。本当にものすごいイベントですね。それに、レースのスタートも自分にとってはまったく新しい経験でした。自分の前を30台ものマシーンが走っているなんて、これまで経験したことがありませんでしたから。そこで巻き起こる巨大なタービュランスは、物凄い勢いで僕をターン1に引き寄せるようでした! もちろん、僕はオープニングラップを無事に潜り抜けるため、ものすごく慎重な姿勢でスタートを切りました」 レース前半は、周回を重ねるにつれて琢磨は順位を上げた。序盤にフルコーションとなったときにピット作業を行なったおかげで、ほぼ全ドライバーがピットストップした40周目前後にはトップ20に食い込むほどの躍進を果たした。レースが折り返し地点を迎えるまでに、琢磨はルーキードライバーのマリオ・ロマンシーニや大人気ドライバーのダニカ・パトリックらをパス、アレックス・ロイドとは何度かポジションを入れ替えた。100周を過ぎたとき、ロイドの直後にあたる11位まで琢磨は追い上げる。そして、このロイドは最終的に4位で決勝を終えたのである。 「たくさんのことが起きました。他のドライバーを追走するのは難しかったし、気温が上昇したためにグリップ・レベルが低かったことにも苦しみました。こうした状況に対応するため、僕はコクピットのなかで様々な操作をしていました。それから徐々に、一歩一歩、僕はポジションを上げていきました。とても順調でしたが、間もなくピットストップで問題に遭遇してしまいます。最初に起きたのは、本来の停止場所で止まり切れず、わずかに通り過ぎてしまったことですが、このため少し順位を落としてしまいました。しかも、この直後にチームはある問題を起こしてしまった可能性に気付き、その確認のため、ピットに戻ってくるようにと僕に指示しました。けれども、このときピットロードの入り口はすでにクローズになっていたので、グリーンフラッグが提示されてから、僕は改めてストップ&ゴー・ペナルティを受けることになってしまったのです」 これらの影響で琢磨は大きく後れ、最終的には周回遅れの20位でチェッカーを受けることとなった。「チーム全体のことを考えると、初めての500マイル・レースを完走できたことには大きな意味があったと思います。たくさんのことを学び、経験を積んだことは本当に重要です。もう少し展開が違っていたら、素晴らしいレースになっていたでしょう。ポジティブなことがいくつかあったいっぽうで、上位でフィニッシュできた可能性もあったから、悔しい気持ちも同時に持っています」 レースが終わったからといって、インディアナポリスでゆっくりしているわけにはいかない。次の土曜日の晩には、バンク角が大きなことで知られるフォートワースのテキサス・モーター・スピードウェイでインディカーレースの次のレースが開催されるからだ。「カンザスとインディではまったく別の世界でした」と琢磨。「今度はバンク角がもっとも大きく、とても速いコースでナイトレースを経験することになります! どれもこれも僕にとっては初めての経験ですが、インディでの感触を手掛かりにして、いい週末にしたいと思っています」 written by Marcus Simmons |