RACEQUALIFYINGPRACTICE
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Rd.9 [Sat,23 June]
Iowa Speedway

レースキャリアでもっとも難しい一戦
 アメリカ中西部に位置する全長7/8マイルのオーバルコース、アイオワ・スピードウェイは、佐藤琢磨にとってゲンのいいサーキットである。昨年はポールポジションを獲得、IZODインディカー・シリーズのルーキーだった2010年にも大いに活躍した。2012年のレースへの期待も、当然大きかった。

 けれども、琢磨とレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングは、ホンダ・エンジンを搭載したダラーラDW12から必要なパフォーマンスを引き出すことがどうしてもできなかった。このため後方のスターティンググリッドに沈み込んだが、予想に反し、琢磨とRLLRはバトルを繰り返して12位でフィニッシュすることに成功する。

 「ひょっとすると、今回は僕のキャリアでも、もっとも難しいレースだったかもしれません」と琢磨。「なにしろ、コースに留まって走りきるだけでも精一杯だったのですから。でも、サバイバルレースとなった今回、23番グリッドからスタートして12位でフィニッシュできたことは、全体の流れを考えると上出来だったと思います。難しい状況のなか、チームはよく頑張ってくれましたし、みんなで全力を尽くして戦いました。しかし、僕にとってはまったく楽しいレースとはいえませんでした」

 プラクティスが始まったとき、琢磨とチームは今回の苦戦を予想することになる。「過去2年間、アイオワでは大成功を収めていたので、シーズンが始まる前から、ここに戻ってくるとことを楽しみにしていました。僕たちは、このコースでニューカーのテストを行ったことのない数少ないチームのひとつでしたが、これほど苦しい状況に追い込まれるとは想像もしていませんでした」

 「僕たちがコースに持ち込んだセッティングは、とにかくスタビリティが不足していました。プラクティスの始まりからレースの終わりにかけて、僕たちは長足の進歩を遂げましたが、充分なスピードを得たことは一度もありません。ダウンフォースがルールによってさらに削り取られましたが、そのこと自体は悪いことではありません。ただし僕らにとっては非常に大きな痛手になってしまいました。コーナーへの進入とコーナーリング中のスタビリティが圧倒的に不足していたほか、出口ではアンダーステアに見舞われ、とても苦しい状況となりました。ふたつのプラクティスを通じて僕たちは様々なことを試しましたが、結果的にライバルに追いつくことはできませんでした」

 アイオワでは、ヒートレースによってスターティンググリッドを決定する形式が試験的に導入された。ここでは、プラクティスの結果によってヒートレースのスターティンググリッドを決める。そして琢磨は8番グリッドからヒートレースに出場し、8番手でフィニッシュした。「僕たちが置かれた状況を考えれば、レース・コンディションを中心にさらに走り込むことが重要でした。それによってトラフィック内での状況をいち早く経験できると考えられたからです。けれども、僕は最後尾からスタートし、集団から引き離されてしまいました。ひとりきりで集団の後方に取り残されるのは最悪の気分です。したがって、僕たちは土曜の夕方に行われるレースに向けて懸命に作業を行わなければなりませんでした」

 ここで、今週末は琢磨のレースに微妙な変化があったことをお知らせしておくべきだろう。いつも琢磨のスポッター役を務めているロジャー安川は、都合によりアイオワのレースには帯同できなかった。そこで、今回はRLLRのチームオーナーで元インディカー・チャンピオンでもあるボビー・レイホールが、無線を通じて琢磨に周囲の状況を伝える役割を買って出ることになったのだ。「ボビーとの共同作業は素晴らしかったです。彼は元チャンピオンだけあって、僕がどんな情報を求めているかを完璧に理解していました。したがって僕は完全に彼のサポートに身を委ねることができましたし、レース中も楽しむことができました!」

 そしてレース展開も琢磨にとって楽しいものとなるように思えた。スタートは雨のため遅延したものの、ひとたび戦いの幕が切って落とされると、琢磨は次第に順位を上げ始め、70周手前で最初のコーションが入るまでに、23番グリッドから15番手まで躍進していたのだ。「最初のスティントではマシーンがまずまずコンペティティブでした。雨のおかげでコース上のラバーはほとんど洗い流され、トラックはグリーンな状態になっていました。このときのマシーンの状態は週末を通じてベストなものでした。僕はこれに自信を得て、いくつか順位を上げることになり、これがまた自分自身を勇気づけるきっかけとなりました。けれども、ライバルたちは1回目と2回目のピットストップでシャシーセットアップを調整し、あらかじめ見つけ出していたバランスを取り戻していきました。しかし僕は八方塞がりのような状態に陥っていました。というのも、一部コーナーではアンダーステアも顕著になってきたため、アンチロールバーやウェイトジャッカーなどのツールを使ってハンドリングを向上させようと試みましたが、フロントを良好な状態にすると、途端にリアのスタビリティを失ってしまい、ペースを上げることが困難になっていったからです」

 琢磨は非常に難しい立場に追い込まれていた為、ピットストップでタイムロスすることがあっても、最終的な順位にはほとんど影響を及ぼすことはなかった。「この苦しい状況を考えれば、チームは素晴らしい働きをしてくれたと思いますし、僕たちはできることすべてを試したと思います。本当に順位を落とさないようにするだけでもひと苦労で、戦うのは不可能に近い状況でした。僕にできることといえば、トラブルを起こさないように気をつけ、フィニッシュまでクルマを持ち込むことだけでした。ただし、チーム全体として見れば多くの経験を積むことができたので、来年はより強くなってここに戻ってきたいと思います」

 オーバルレースはこれで一旦幕を閉じ、今後はロードコースと市街地コースに舞台を移すが、その第一弾となるのは、2週間後に開催されるカナダ・トロントでの市街地レースだ。「インディアナポリスで過ごした“マンス・オブ・メイ”から6月にかけては非常に興味深く、上位争いを繰り広げたレースなどが立て続けに開催されました。怒濤のような日々でしたが、素晴らしく面白い戦いを経験して、とても内容の濃い時間を過ごすことができました。いま、僕たちは懸命に努力し、今後開催されるロードレースと市街地レースを楽しみにしているところです。まずはトロントを戦った後、エドモントン、ミドオハイオと転戦していくので、きっとエキサイティングなレースが繰り広げられると信じています」

written by Marcus Simmons
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