COLUMN |
ロングビーチの市街地コースで行なわれたNTTインディカー・シリーズの2021年最終戦において、佐藤琢磨は9位完走という立派な成績を残した。ただし、市街地コースでは往々にしてあるように、もっといい成績を収められたはずだったこのレースも、最悪のタイミングで提示されたイエロー・コーションによって台無しにされたといっても過言ではなかった。実際のところ、No.30をつけたレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのダラーラ・ホンダはカリフォルニアの美しい街並みで快走を示し、シーズンを11位で締め括ったのである。ちなみに、あと8ポイント余計に獲得できれば、琢磨はトップ10でシーズンを終えられたはずだった。
「惜しいレースでした」と琢磨、「力強く戦った、とてもいいレースでした。ただし、いつものように、間の悪いタイミングでピットストップを行ない、思うようなタイミングでイエローが出ることはありませんでした。ただし、与えられた状況のなかで、僕たちはできることすべてをやりました」 最近はよくあることだが、RLLRチームはプラクティスで苦しみ、金曜日の午後に行なわれた最初のセッションは21番手で、そして土曜日の午前中は少し改善されて15番手でそれぞれ終えた。「結果的に、僕たちは少し落胆しました。全般的にいって、僕たちのチームはロードコースよりも市街地コースのほうがコンペティティブです。今季はセントピーターズバーグで素晴らしいパフォーマンスを披露し、デトロイトでは4位に入り、もう少しで表彰台に手が届きそうでした。直近のロードコースでは、ようやくマシーンも速くなってきて、どうすればコンペティティブになれるかについても理解が深まってきました。そういったことを考え合わせて、僕たちは高い目標を持ち、大いに期待してロングビーチにやってきたのです。僕たちのパッケージはコンペティティブなはずでしたが、実際はそうなりませんでした。僕たち3人(琢磨とチームメイトのグレアム・レイホール、そしてオリヴァー・アスキュー)は苦戦を強いられ、セッティングでは行ったり来たりを繰り返し、自分たちが目指す方向になかなか辿り着けなかったのです」 「マシーンのセットアップはエアロダイナミクスを中心とする方法とメカニカルグリップを中心とする方法のふたつがあり、最近の僕たちはメカニカルグリップ中心のセットアップに取り組んできました。これ自体は悪くありませんが、この場合はリアエンドの挙動がトリッキーになる恐れがあるほか、ロングビーチは路面のグリップが低く、とてもバンピーです。競争力が高くて速いマシーンはこの考え方で成功を収めているので、僕たちも取り組んできましたが、実際には、誰かが試した古いセットアップを再現しているようなものです。それで惜しいところまではいけますが、インディカーのような激戦のシリーズでは、たったコンマ1秒遅れるだけで多くの順位を失うことになります」 琢磨は自分たちの予選グループで8番手となったため、トップ6だけが挑める第2セグメントには進出できなかった。これでスターティンググリッドは16番手となったが、RLLRチームのトリオとしてはこれが最上位だった。「僕たちはコンマ5秒ほど遅れていましたが、これはショッキングなできごとでした。自分たちが深く理解しているものに立ち返らなければいけないと思われたので、僕たちは日曜日のウォームアップに向けて、以前の考え方に戻すことを決めました」 その結果は17番手。ただし、本当の意味で手に入れた“進歩”が、この結果に反映されていたとはいいがたい。「マシーンはほんの少しよくなっていました。コンペティティブとまではいえませんでしたが、上位陣とのギャップは縮まりました。素晴らしく見栄えのする結果とはいえないものの、一部のドライバーはレッド・タイヤを試していたので、僕たちはこの成績に納得しています。僕はダウンフォースを少し減らすことにしました。これによってラップタイムは少し遅くなるかもしれませんが、レースで大切なのは『どうしたらオーバーテイクできるか?』です。また、ダウンフォースの量が少なければストレートラインは伸びます。つまり、自分のポジションを守るのにも役立つのです」 レースは、メインストレートに続くヘアピンでエド・ジョーンズがパト・オワードのリアを突いてスピンさせるという、手に汗握る展開で始まった。ここで起きた混乱を潜り抜けた琢磨は11番手となり、これに続くイエローでセバスチャン・ブルデーがピットインしたことで琢磨は10番手へと躍進。問題は、あまりにも素晴らしいスタートを見たチームのクルーが、結果的に自分たちのアドバンテージを棒に振る戦略に固執する原因をつくったことにあった。「とても順調で、ほどなく僕はトップ10に入りました。僕たちはたくさんの議論をしました。手元には新品のレッド・タイヤが2セットありましたが、ブラックとレッド、この時点ではどちらのタイヤを使ったほうがいいかはわからない状態でした。ただし、レッド・タイヤ主体のレースになれば、僕たちは上位でフィニッシュできると考えていました。残りレース中のどこかで、レッド・タイヤに交換できるチャンスはあります。しかも、1周目で大きく順位を上げていたので、これでいいと考えたのです。そこでチームは王道のような2ストップ作戦を選んだのですが、この時点では、なにもかも順調でした」 レース序盤にアクシデントに遇ったオワードのマシーンがコース上で停まったとき、またもやイエローが提示されたが、2ストップ作戦を選んだドライバーにとって、このタイミングでのピットストップはまだ早すぎた。いっぽう、それ以外のドライバーはこれを好機ととらえてピットストップを行なったため、琢磨は3番手に浮上した。「ほとんどのドライバーはピットレーンに飛び込んでいきました。でも、それではスティントが短くなりすぎます。もう1度イエローがでない限り、3回目のピットストップを行わなければなりません。ただし、僕たちにとって、この時点までは完璧でした」 もっとも悔やむべきは、次のリスタートが行なわれて間もなく、マーカス・エリクソンがタイヤバリアに突っ込んだため、3度目のイエローが提示されることにあった。これは、まさに琢磨がピットインしようとしていたときのこと。これで琢磨はイエローでピットストップを行なうことになり、この結果、それまでのトップグループから17番手までポジションを落とすことになった。「このとき、レースが大きく動きました。自分の最大の強みが、最大の弱点となったのです。2回目のイエローでピットストップしたドライバーたちが大きく順位を上げるいっぽう、燃料の問題がこれで解消されたため、彼らが3回目のピットストップを行なう必要はなくなりました。そしてこの時点で、僕は勝者から一転して敗者となったのです。もしもなにも起きなければ、僕たちはとても優勢にレースを戦っていたことでしょう。けれども、市街地レースは必ずしもそうなるとは限らないのです」 第2スティントで琢磨は怒濤のごとくオーバーテイクを繰り返し、フェリックス・ローゼンクヴィスト、ジミー・ジョンソン、ウィル・パワー、ライナス・ヴィーキーらを仕留めた。そして、この日2回目で最後となるピットストップまで長めのスティントを走行し、最終的に琢磨は4番手まで浮上する。「さくさんのオーバーテイクがあって、とても楽しかったです。ここでも僕は燃費を稼がなければいけませんでしたが、いずれにしても、僕はもっとも最後にピットストップしたドライバーのひとりでした。これは、必ずしも市街地レースでいいこととは限りません。なぜならイエローに捕まってしまうリスクが高まるからですが、このとき、僕たちはまだ自分たちの戦略に固執していました」 琢磨が2回目のピットストップをしてから間もなく、立ち往生したアスキューとコナー・デイリーのマシーンを排除するため、この日、最後のイエローが提示された。残り21周でリスタートが切られたとき、琢磨は9番手で、最終的にこのポジションのままチェッカードフラッグを受けることになった。「結果的に、僕たちは自分たちの力だけでポジションを取り戻せるほど速くはなかったといえます。ダウンフォースを減らしている場合、もしも優れたメカニカル・グリップとタイヤのグリップがあれば、オーバーテイクするうえで有利でしょう。ただし、最終スティントで、僕はなんとかしがみつくようにして走っていました。最後のスティントではユーズドタイヤを履きました。ウィル・パワーとはいいバトルをして、彼を抑えることができましたが、一瞬も気の抜けない戦いでした。トップ10でフィニッシュできたのはよかったです。本当に激しいバトルでした」 これで琢磨はRLLRチームとの4シーズン目を終えた。このシーズンはまた、琢磨がRLLRで1勝も挙げられない初のシーズンともなった。「1年間を通じてハードワークをこなしてくれたチームに心からお礼を申し上げます」と琢磨。「僕はインディカー・シリーズのシーズンエンド・パーティに出席し、そこでTAGホイヤー・ハード・チャージャー・アワードを受賞しました。これは、シーズン中にもっともたくさん順位を上げたドライバーに与えられるものです。誰かが『この賞は“ノー・アタック・ノー・チャンス・アワード”にすべきだ!』と言ってくれました。実に1シーズンで90近くもポジションを上げたそうです。僕たちは、誰よりも多くのオーバーテイクを成功させたのです。これは、No.30のクルーが全力を振り絞ってくれた何よりの証拠で、彼らの偉大な実績と強さを示すものです。僕は心からNo.30のメカニックたちを誇りに思います。信じられないほど素晴らしい仕事をしてくれた彼らには、どれほど感謝しても感謝しきれません。苦しいシーズンでしたが、僕たちは懸命にプッシュし続け、決して諦めることをしませんでした」 同じころ、絶大な人気を誇るベテランのインディカー・ジャーナリストでコメンテーターでもあるロビン・ミラー氏の追悼イベントが開かれた。ミラー氏は今年8月25日に71歳で逝去したばかりだった。「およそ80名が集まって、お別れの会を催しました」と琢磨。「情熱を持った、伝説的なジャーナリストの生涯を称える式典となりました。本当に素晴らしい人でした。みんなは、彼がいかにステキで、愉快なひとときを一緒に過ごしたかについて話し合っていました。ミラーさんは偉大な人物で、ご冥福をお祈りしたいと思います。きっと、みんなの愛に囲まれて天国に旅立ったことでしょう」 そして、ここから2022年シーズンに向けた計画が動き出す。「来年の準備を進めています。すぐに戻ってきますからね!」 written by Marcus Simmons |