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Rd.6 [Sun,30 May]
INDIANAPOLIS 500 MILE

打ち砕かれた野望 第6戦 インディ500
 佐藤琢磨は2021年インディ500で2回首位に立ったうえ、2度目はなんとフィニッシュまで残り7周のときのことだった。琢磨は周回数の大半を、このレースのウィナーとなるエリオ・カストロネヴェスや2位のアレックス・パロウとともに戦い、ときには3位のサイモン・パジェノーや4位のパト・オワードがこのバトルに加わることもあった。ところが、琢磨は14位でフィニッシュ。結果的には戦略がうまく機能しなかったために、インディ500での3勝目を逃すとともに、深い失望を味わうことになったのだ。

「言葉では言い表せないくらいショックでした」と琢磨。「イエローが出ない限り、実現不可能な戦略で、まったくレースができない状態でした。とにかく、大きく失望しています」

 全長2.5マイルのインディアナポリス・モーター・スピードウェイについて、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングは2020年の段階ですべて知り尽くしていると思われていた。しかし、2021年のレースをチームのダラーラ・ホンダで戦った琢磨、グレアム・レイホール、サンティーノ・フェルッチにとって、状況は一変していた。「もちろん、去年から引き継いだ素晴らしいベースラインが僕たちにはありましたが、インディカー・シリーズは500に向けてアップデートを行ないました。基本的には、新しいエアロデバイスが使えるようになったのです。そのうちのひとつは、効果が抜群なバージボードで、さらにはディフューザーへのスプリッターの追加も行なわれました。このふたつによって、ダウンフォースの特性は大きく変化しました。去年は、どのドライバーもひどいアンダーステアに悩まされており、スーパースピードウェイでは、フロントウィングに多くのエクステンションやガーニーフラップを追加しなければいけませんでした。ところがインディカーは、アンダーボディが生み出すダウンフォースによってこの問題を一掃しようとしたのです」

 こうしたデバイスが追加されたのは、昨年のシーズン後に琢磨とジョセフ・ビューガーデンが行なったテストによって、より大きなダウンフォースがレースをより混戦にするとの結果が出たからだった。琢磨が説明する。「ダウンフォースが増えれば必ずドラッグも増えます。しかも、ダウンフォースの特性に影響があるアンダーウィングについてもアップデートが行なわれたので、これまでのエアロマップは使い物にならなくなりました」 この結果、ファスト・フライデイが行なわれるまでの最初の3日間を、琢磨たちは忙しく過ごすことになった。「たくさんのことを試したので、とても忙しい3日間でした。必ずしもタイムシートのトップにいる必要はありませんでしたが(それでも琢磨は初日に3番手となっていた)、僕たちは決勝と予選でなにが最適なパッケージングなのかを見極めるため、様々なことを試し、1日ごとに進化していきました」

 予選トリムで走行するファスト・フライデイの当日、琢磨は8番手という実に心強い結果を手に入れることになる。「僕たちは4セットから8セットのタイヤを使っていました。それらを通じて、レースカーで用いることのできる新しい発見をいくつも手に入れました。僕たちは、とてもいい状況にありました。マシーンのメカニカルグリップはどんどん改善されたので、僕たちはウィングを寝かすことができ、スピードも伸びていきました。そして、この状態が土曜日の午前中まで続いたのです」 このセッションには9名のドライバーが出走したが、琢磨はそのうちの2番手だった。

 ところが、予選は不本意な結果に終わってしまう。1回目の走行で、琢磨は15番手、つまり5列目のグリッドを手に入れた。ここでRLLチームは、琢磨を2回目のアタックに送り出すことを決めるが、このときは最初の2ラップが速くなかったため、走行を途中で取り止めることとなった。
「昨年、レイホールのドライバーは全員いちばんタイムが出やすい時間帯に走行できました。ところが今年、30号車の出走順は12番手で、これは最初のドライバーがアタックしてから1時間が経過したころのことでした。トップバッターはNo.9をつけたスコット・ディクソンで、最初のラップは232mph(約371km/h)を越えてましたが、この速さは本当にショックでした。僕たちは、このスピードを出すのに必要なギア比さえ用意していなかった。僕はファスト・フライデイで231.2mph(約370km/h)を記録していましたが、予選では遅くなると予想していました。チームのなかでは僕がいちばん最初にアタックする順番だったので、どんなパフォーマンスを発揮できるのか、予想できませんでした。それでも、最適と思われるギア比を選んだところ、僕たちは期待どおりのスピードをマークしましたが、率直にいって、ガナッシには大きく引き離されていて、まったく手も足もでない状況でした」

「そこで僕たちは分析を行なうことにしました。予選で上位のタイムを残したマシーンは、予選までに本当のポテンシャルを示していなかったと推測されました。昨年フロントロウだった僕たちは、なにかをしなければならない。そこで、さらにダウンフォースを減らしましたが、気温が上昇したため、それ以上、速く走るのは困難な状況で、途中でアタックを中断することとしました。続いて僕は、3回目の走行に備えて(それまでの予選結果を失うことなくアタックできる)レーン2に並びましたが、最後の30分間ほどはレーン1に多くのドライバーが殺到している状況でした。僕たちは45分間待ちましたが、結果的に順番は巡ってきませんでした」

「翌日の夕方、僕たちは2時間のセッションに臨みました。気温はこの日がいちばん高くて88?(約31℃)ほど、路面温度は110?(約43℃)を越えており、たとえアップデートキットを装着してもオーバーテイクは信じられないほど難しい状況でした。マシーンが大きなドラッグを生み出すため、集団の先頭に立つと空気の壁が立ちはだかり、2番手を走るドライバーはオーバーテイクできますが、3番手以降を走るドライバーにとっては困難を極めました」

 この状態が続いたのは金曜日のカーブデイまでのこと。「その後は気温が60?(約16℃)を上回ることはありませんでした。おかげでダウンフォースが急増し、同じく気温が下がったためにタイヤがオーバーヒートする心配が消え、デグラデーションもほとんどなくなりました。去年、僕たちの強さのひとつは、優れたコンシステンシィになりましたが、誰もがダウンフォースを増やすことができたので、このアドバンテージを失うことになりました。とてもトリッキーな1日でした」

 同様の状況は決勝日まで続いたが、この日は、無観客とされた2020年とは異なり、スピードウェイには多くの観客が詰めかけていた。「ファンが戻ってきてくれたおかげで、素晴らしい雰囲気になりました! まだキャパシティの40%なので14万人ほどですが、それでも、以前のインディ500が帰ってきたような感じがします。本当に最高の眺めで、ファンの皆さんのエネルギーを感じることができました」

 決勝レースでNo.30は好スタートを切り、ピエトロ・フィッティパルディとパト・オワードを攻略して13番手に浮上するが、4周目にオワードに抜き返されたため、琢磨は最初のスティントの大半を14番手で走行することとなった。ただし、琢磨の燃費のよさはライバルを大きく凌いでおり、ステファン・ウィルソンがピットレーン入り口でクラッシュし、イエローが提示されたときには、まだピットストップしていない数少ないドライバーのひとりとなっていた。しかも、琢磨はガス欠になる危険を冒してまでピットストップを引き伸ばしているわけではなかった。ちなみに、今年のインディ500では、レースを通じて2度しかイエローが出なかったが、これがそのうちの1回目だった。「マシーンのフィーリングが少し変わっていたので、レース前半に順位を上げることを狙っていました。できれば100周目までにトップ5に入っていたと思いました。優勝を目指すには、レース中にセットアップを煮詰めていく必要がありますが、昨年はこれに3スティントかかりました。いずれにしてもリスクを負うことはできないので、僕は極めて慎重にドライビングし、順調に周回を重ねていました」

 ウィルソンのアクシデントをきっかけに出されたイエロー中に琢磨はピットイン。しかも、燃費が良好なため、グリーンが振られたときには8番手までポジションを上げていた。そして、直後にオワードとライアン・ハンター-レイをパスして6番手に駒を進めたが、その10周後にはオワードの先行を許してしまう。ただし、ここでもNo.30はピットストップを先延ばしにし、2度目にピットストップしたときには2番手まで浮上、9番手でコースに復帰する。「リスクはできるだけ避け、アグレッシブな動きも試みませんでした。トップから2秒以内の差で、とにかく坦々と周回を重ねていました。そして、ほかの誰よりも燃料を長くもたせました。これを繰り返せば終盤に向けて戦略の幅が広がるので、とてもレースを力強く戦っているように思えました。続くふたつのスティントも順調に周回を重ねました。同じくらい燃費がいいドライバーは、僕を含めて3名しかいませんでした」

 次のスティントではチームメイトのレイホールとバトルを繰り広げることとなる。そして3回目のピットストップでも、琢磨は直前に3番手まで浮上。この後、RLLRチームに波乱が起きる。No.15に乗るレイホールがピットから出ようとしたとき、ホイールがひとつ外れてしまい、ウォールにクラッシュしたのだ。これに続くイエローコーションが解除されたとき、琢磨は7番手につけていた。残るは75周。琢磨はその9周前にピットストップしていたので、もう1度イエローが出るか、直ちにさらなる燃費走行を行なわない限り、フィニッシュまでにあと2回ピットストップしなければいけないのは明らかだった。

 この後、ヒヤッとされるようなドラマが起きる。リスタートのとき、ハンター-レイに続いていた琢磨は、ターン1でもっとも高いレーンを走行していたのだが、もう少しでハンター-レイに追いつこうとしていたときにコルトン・ハータに抜かれるという事件が起きたのだ。「レース終盤の戦いに備えて、2番目のレーンでマシーンがどんな挙動を示すのかを確認しようとしていました。これによってトップ3が決まるので、思い切ってチャレンジしました。ところが、そのとき『まずい、まったくグリップがない!』と感じたのです。レース後、多くのドライバーが同様のコメントをしていました」 その4周後、琢磨はサイモン・パジェノーをパスし、4番手となる。しかし、琢磨は引き続き燃費が良好なうえに、トップも視界に捉えていたので、間違いなく好成績が手に入る状況だった。実際、4回目のピットストップが始まると琢磨はトップに浮上。そして首位のまま6周してからピットストップを行なったのである。このとき、レースは残り43周となっていた。

「僕は少なくない周をトップで走行し、スピードも223〜224mph(約357〜358km/h)を越えていました。これはとても速いペースです。この時点では、僕がいちばん速かったはずで、前を走行するマシーンに追いついて次々とラップダウンにしていきました。ところが、前方のマシーンに行く手を阻まれて218mph(約349km/h)までスピードが落ちたのです」 このとき、琢磨のマシーンには5周を走行するのに十分な燃料が残されていたので、計画通りにピットストップしても残り38周を走行すればよかった。これは、ライバルより1回少ないピットストップでレースを走りきれることを意味していた。ところが、トラフィックによってペースが落ちたため、チームはここでピットインすることを指示。おかげで、もしもグリーンが続いた場合、琢磨は43周も走り続けなければいけないこととなった。これは、レーシングスピードで走り続けるにはあまりに多い周回数だった。

 ここで琢磨はスロットルを踏み込む時間を極力短くし、できるだけ燃料をセーブしようとしたが、もはやレースは超ハイペースで進み始めていた為、その後の40周を無給油でいく事は不可能だと感じていた。「もっとも薄いミクスチャーに切り替え、僕はできる限りのことをしようとしましたが、目標とする燃費には遠く及びません。僕は無線で『不可能だ!』とピットに伝えましたが、僕にわかることは限られているのも事実で、チームの指示に従うしかありませんでした。すぐ先に見えているレースリーダーのわずか1.6秒後方でスロットルを緩め始め、No.30は次第にポジションを落としていった。けれども、驚くべきことに200mph(約320km/h)までペースを落としても目指す燃費には到達しなかったのです。これでは、イエローが提示されない限り、勝負になりません。この時点では、僕はパッセンジャーも同然で、なにもできませんでした。決して優勝できたとはいいませんが、ピットストップしたとき、僕はパジェノーよりもふたつ前のポジションを走っていました。そしてパジェノーは最終的に3位でフィニッシュしたのです」

 結果的に琢磨は18番手まで後退。ただし、他のドライバーが最後のピットストップを行なった186周目には2番手まで挽回し、同じくピットストップを先延ばしにしていたフェリックス・ローゼンクヴィストが193周目にピットストップを行なうと、琢磨は首位に返り咲いた。ただし、この1周後には琢磨もピットストップを余儀なくされる。それは、レースが残り6周となったときのことだった。

「とても悲しく、しかもNo.30を担当したメカニックたちには申し訳ない思いでいっぱいでした。今回も彼らは素晴らしい働きぶりを見せてくれて、すべてのピットストップは完璧でした。まったく遅れがでなかったのです。レースが終わったとき、クルーの全員が泣いていました」

 しかし、いつまでも悲しみに暮れているわけにはいかない。デトロイトのベルアイルでのダブルヘッダーが目前に迫っているからだ。「僕たちは残るレースに全力で立ち向かわなければいけないのです」

written by Marcus Simmons
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