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Rd.15 [Sun,23 August]
Pocono

悲しい結末
 目覚ましい追い上げによりポコノの500マイルレースで一時トップに浮上した佐藤琢磨は、価値ある6位でレースを終えた。ベライゾン・インディカー・シリーズの第15戦として開催されたABCサプライ500は、No.14AJフォイト・レーシング・ダラーラ・ホンダのメインスポンサーがサポートするイベントであり、その意味では満足のいく成績といえないこともなかったが、優勝を目前にしていただけに、この結果に琢磨は落胆していた。けれども、レース終盤に起きたジャスティン・ウィルソンの事故によって悲劇的な結末がもたらされたことがわかると、誰からも愛されたジャスティンと彼の家族、その友人たちのことに誰もが思いをはせずにはいられなくなった。

 この悲劇が起きるまで、アクシデントが頻発してはいても、ポコノのレースはスリリングなアクションというオーバルレースの魅力が満載された一戦となっていた。2013年と2014年の成績は振るわなかったものの、ペンシルヴァニア州にある全長2.5マイルのコースを愛して止まない琢磨は、このイベントを心待ちにしていた。「僕たちはいつもこのコースで高いパフォーマンスを発揮してきましたが、過去2シーズンは思いがけないドラマが起きて結果を残すことができませんでした」と琢磨。「ポコノについては自信を持っていました。いくつかの理由により、僕たちのセットアップがこのコースで非常に有効であることがわかっていたからです。それに、僕はこのコースが大好きです。220mph(約350km/h)以上で進入するターン1はハイバンクですが、バンクを上っていくのではなく、コーナーのエイペックスに向けてまるでダウンヒルのように下っていきます。だから、ターン1に進入するスピード感は驚くほど高く、見ていて度肝を抜かれるようなシーンが繰り広げられるのです」

 「ターン2は、その下をトンネルが通っている関係で、必ずバンプがあり、このため車高は高めに設定しなければいけません。毎年、冬になるとこのバンプはどんどんひどくなり、数ヵ月前にはNASCARを戦うマシーンにとっても厳しいほどの段差となっていました。そこで僕たちは要望を出したのですが、ポコノの人たちは素晴らしい働きぶりで再舗装を実施してくれました。おかげで、いまではここに2ワイドで進入できるようになりました。もっとも、そうするのはとてもスリリングだし、かなり勇気を持ってドライビングしなければいけないのは事実ですが……。ほとんどフラットで、バンクがないも同然のターン3が僕は大好きですが、この部分には異なったバランスが求められます。もしもスタンダードなオーバル用セッティングにしていたら、マシーンはオーバーステアとなります。通常のバンクと違ってここでは路面に対して垂直方向に押しつける力があまり働かないからです。でもターン1ではまったく逆で、ハンドリングはアンダーステアになります。このためアンチロールバーやウェイトジェッカーなどを調整し、マシーンのバランスを1ラップあたり2回ずつ行わなければならず、とても忙しい思いをすることになります」

 プラクティスで琢磨はホンダ勢トップの総合5番手となり、コンペティティブであることを証明してみせた。「2015年の新しいエアロがどんな特性を示すのか、はっきりとしない部分もありましたが、僕たちは満足のいく進歩を果たすことができました。ダラーラW12のもともとのエアロパッケージではダウンフォースが不足気味でしたが、今年はフォンタナで用いたのと同じ仕様となる為、ディフューザートンネルや大きなリアウィング・フラップを使うことができました。おかげでダウンフォースは数100ポンド(1ポンドはおよそ0.45kg)レベルで大幅に増えました。いっぽうで空気抵抗が増えるためにスピードは低下するので、エンジニアにとっては難しいチャレンジとなります。プラクティスのポジションには満足していますし、メカニカルセットアップにも自信はあったので、ダウンフォースに関連する要素を減らしていきました。僕たちは、リアバンパーの上につけていたウィングレットを完全に取り外すことを決めたのです」

 予選における琢磨のアタック順はかなり早く─8番目─、その走行時点においては3番手のタイムをマークした。その後、チャーリー・キンボールが大クラッシュを演じた影響でスケジュールは40分遅れとなり、この間に路面温度が下がって風が吹き始めたため状況は大きく変化することとなる。この結果、琢磨は9番手グリッドに留まったのだ。「あるドライバーは速かったし、そうではないドライバーもいました。9番グリッドは悪くありませんが、本当のことをいうとちょっと落胆しました」

 最終プラクティスを終えたところで、No.14をつけたマシーンはダウンフォースがやや不足気味であることがわかる。そこで決勝日は空力パッケージを“ミディアム”から“ハイ”に変更したが、その影響で最初のスティントでは後方集団に埋もれることとなった。「レースが始まると、ドラッグが大きいことが明らかになりました。前を走るドライバーの直後にはつけられるのですが、追い越すまでには至りません。スーパースピードウェイ仕様ではリアウィングにもアジャスターが設けられているので、第2スティントに向けてはそれを利用してダウンフォースを減らしました。これで状況が好転することを期待していましたが、実際には逆のことが起きました。ストレートで速く、コーナーではスリップが多くなったので、オーバーテイクするために前のクルマに近づくことさえ困難な状況でした。さらにタイア・マネージメントもうまくいかず、リアのスタビリティも不足気味でした」 これに加えて、給油装置にも問題が起きていたため、この装置を交換するまでのレース序盤、フォイト・チームのメカニックたちはコーションのたびに琢磨を呼び戻して給油を行わなければならなかった。

 琢磨が反撃を開始できたのは、ダウンフォースの量をひときわ大きくしてからのことだった。「これでトップスピードは伸び悩むことになりましたが、コーナーでは前を行くマシーンの直後まで接近できるようになりました。また、タービュランスのなかを走るにも有利でした。なにしろ、目の前に20台が走っているとものすごい乱気流が生まれるのです」

 しかし、この時点にすでにいくつかのアクシデントが発生していた。「レースはかなり荒れた展開になっていました。パックレーシングと呼べるほど接近戦ではありませんでしたが、マシーンとマシーンの間隔は常に短めで、互いに抜きつ抜かれつを演じており、昨年よりもずっとアグレッシブなレースとなっていました。ターン2にもサイド・バイ・サイドで飛び込んでいったことも、たくさんのアクシデントが起きる要因になっていたと思います」

 「あるとき、僕の目の前を215mph(約344km/h)以上で走るTK(トニー・カナーン)がスピンしました。彼は外側のウォールに接触することなく、2回転したので、タイアスモークのせいでまるで視界が利きませんでした。僕のレース人生のなかでも、もっとも強い恐怖を感じた瞬間でした。僕にできたのはブレーキをかけることだけで、どちらに向かえば良いのか全くわかりませんでした。スモークの隙間から一瞬彼のマシーンのブルーの塗装が見えました。彼は際どいところで左側のウォール向かっていくのが確認できたので、僕は右にステアリングを切り、アクシデントを避けることができたのです。もっとひどい事故になっても不思議ではない状況でした」

 「その前には、トリスタン・ボーティエが3ワイドのなかに突っ込んでいき、タイトル争いを演じているホンダ勢のグレアム・レイホールがここでリタイアに追い込まれました。タイトル争いに関係のないドライバーがチャンピオン候補のドライバーになんらかの影響を与えるのは、とても残念に感じました。僕は彼らの直後にいました。ボーティエはとても速いドライバーなので、自分に何ができるかをいまさら証明する必要はなかったはずです」

 琢磨の怒濤の追い上げは、残り34ラップでコーションが明けたときに始まる。きっかけは、キツネがコースを横断したことにあった。驚いたことに、7台がサイド・バイ・サイドとなって大きく展開すると、そのスリップストリームを活用した琢磨は、ターン1で彼らを一気に仕留めたのである。

 「あれは最高でした!」 ここで一気に4番手へと浮上した琢磨は、そう振り返った。「まるでロケットみたいでした。スリップストリームに入ると、3段階に加速していき、完璧な戦いができました。言葉では言い表せないほど最高の気分でした。ただし、タンクに残っていた燃料の量から計算すると、そのまま最後まで走りきることはできません。だから、あと何度かイエローが出ることを期待していたのです」

 それから間もなくエリオ・カストロネヴェスがクラッシュする。このとき、前を走るふたりのドライバーがピットインしたため、琢磨はライアン・ハンター-レイに続く2番手に浮上した。リスタートした段階でレースは残り27周。引き続き燃料はギリギリの状態だった。ターン1の進入で琢磨はハンター-レイをパス。けれども、このときジョセフ・ニューガーデンが琢磨とハンター-レイをかすめるようにして抜かしていった。その周の終わりには琢磨がニューガーデンを抜き返し、トップに浮上したものの、今度はセイジ・カラムがトップに立ち、ギャビー・シャヴェスが2番手となった。「正直にいうと、燃料を使い過ぎてしまうので、あの段階ではトップには立ちたくありませんでした。できるだけ2番手か3番手につけて、ミクスチャーを薄くするマップを使い、燃料をできる限りセーブするのが大切な局面でした」

 間もなくカラムがクラッシュし、ここで飛び散った破片がウィルソンの命を奪うことになる。この事故が重大な結末を招くと予想した者は、この段階ではほとんどいなかっただろう。なにしろ、誰もが勝利に向かって懸命に戦っていたのだ。コーションが長引いたため、レースは残り7周で再開。リスタートのとき、琢磨はシャヴェスに続く2番手につけていた。「彼のことは抜けると思っていたし、本当に気をつけなければいけないのは直後につけているモントーヤだけだと考えていました。そして僕は完璧なリスタートを決めました! シャヴェスがスロットルペダルを踏み込む瞬間、シャヴェスを含めて他のドライバーは2速で加速準備態勢に入っていました。しかし、シャヴェスの先導ペースがあまりにも遅いので、僕は瞬時に1速に落とし、素早く加速しました。僕は一気にシャヴェスをオーバーテイクし、残るドライバーすべてを後方に置き去りました。完璧な展開だと思いました。ところが信じられないことに、ターン1への進入でシャヴェスは僕を追い越していきました。彼は恐ろしくダウンフォースが少ない状態で走っていたのです。彼が装着していたのは、スーパースピードウェイ用のウィングレットだけでした。最後のピットストップでは、トップグループと同じくらいのレベルまでダウンフォースを減らすようにリクエストしていましたが、十分な時間がなく、僕らはコンペティティブなトップスピードを手にすることができませんでした」

 「このため、僕は最後の最後でシャヴェスを追い越さなければならないことになり、そこでフィニッシュまで残り何周かを数え始めました。けれども、何人ものドライバーが追い上げ始め、そのなかにハンター-レイがいることに気づきます。彼はとても速く、僕は手も足も出ませんでした。彼に追い越されると僕は勢いを失い、1周の間に2番手から7番手まで後退しました」

 その直後、フィニッシュまで4周となったところでシャヴェスのエンジンにトラブルが発生。この影響で、コーションが出されている間にチェッカードフラッグが振り下ろされることになった。もしも琢磨が2番手につけているときにシャヴェスのエンジンにトラブルが起きていたら、栄冠は彼のものになっていただろう……。「もしも、もしも、もしも……。でも、それがレースというものです。不服を唱えるつもりもありません。困難な状態でスタートを切りましたが、チームは素晴らしい仕事をしてくれました。すべては彼らのおかげです。この結果に満足することだってできるでしょう。でも、僕らは優勝していたかもしれないのです。個人的には、6位は残念な結果でした。でも、最終戦のソノマではいいレースができることを期待しています」

 その後、事故で負傷したウィルソンが命を落としたとの報道がなされる。「このようなことになって、深くショックを受けています。この週末だけでなく、ジュールズ・ビアンキが逝去し、サー・ジョン・サーティースの息子であるヘンリーも天に召されました。悲しいとしかいいようがありません。僕たちのカテゴリーに関していえば、現時点でできることは残念ながらありません。もちろん、安全性は年々改善されていますが、オープンコックピットのマシーンに乗っている以上、今回のような事故を100%防ぐことはできません」

 「今回の報せに触れて、悲しさに打ちのめされています。まるで言葉が浮かびません。同じシリーズを戦うドライバーのなかで、もっともリスペクトされている男が命を落としました。彼は優れたドライバーである以前に素晴らしい人物であり、誰からも愛されていました。僕と彼は、F1とインディカーで素晴らしい時間を共有してきました。そのことを僕は決して忘れないでしょう。この悲しみはモータースポーツの世界に大きな衝撃を与えましたが、彼が愛したレースを僕たちは今後も続けることになります。僕たちはジャスティンのご両親、奥様のジュリア、娘さんたち、そしてご親戚の方々すべてのためにこれからもレースを戦います。ジャスティンに心から哀悼の意を表します」

written by Marcus Simmon
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